この庭園はかつての伊勢国司北畠氏の

居館の中にあった

現在は北畠神社神苑の一部となり

国の名勝及び史跡に指定されている

以下北畠神社社務所によるチラシによる

作庭は室町末期、細川高国と伝えられる

高国は細川政元の養子

足利12代将軍義晴をたてて

自ら管領となり権勢を誇った

そして細川晴元や三好元長と戦いのなか

1528年に義晴に従い

都から滋賀県朽木に逃れ

1530年に援軍を頼むために

伊勢国司(婿の北畠晴具)の館に逗留した

この時につくったのがこの庭であるといわれる

高国が朽木時代に作庭した庭は

滋賀県の名勝 旧秀臨時庭園である

(上の写真)

杉の木の左下にある巨石を中心として石が取り巻き

渦巻き式石組と称される

 

 

(下の写真)

池泉部から中心石を見る

圧倒的に大きく存在感のある中心石を核として

他の石や池泉が配置されている

生き物を思わせるような不思議な形の石で構成され

中心石が他を従えるようにも見える

(下写真)

中心石からさらに離れた池泉部から中心石方面を見る

中心石から周りの石群へ

さらに低い池泉にという

デザインの流れが意識されているように感じられる

池泉回りも多くの石の護岸で

そのためか池の輪郭が判然としない

 

 

(下写真)

切石橋(当庭のほぼ中央部分にある)より右側は

池泉と護岸の立石で構成されている

こちらもユニークな石が多くつかわれ

石が目立つデザインとされている

 

米字池に浮かぶ島