飛鳥という時代は

6世紀末頃から710(和銅3)年をいう

その中の645年大化の改新後

つまり天智天皇以降の時代の文化を

白鳳文化という

飛鳥時代には仏教文化が花咲く時代

蘇我入鹿は596年に飛鳥寺を建て

聖徳太子が607年に法隆寺(1回目造営)を

蘇我倉山田石川麻呂が641年に

山田寺を建て始めた時代である

山田寺は今は遺跡しか残っていないが

奈良文化財研究所には発掘された遺構が

展示されている

その他天智天皇が建てた川原寺

聖徳太子の出生の地に建てられた橘寺

この両寺は当時の建築物はないが

寺として今でも残っている

狭い飛鳥京の中に数多くの寺院が

建てられていたことになる

624年の記録によると

「飛鳥の地には寺46か所、僧816人、尼僧569人」ありと

広くない飛鳥京の中に寺院や宮殿が林立した様子が描かれる

そんな雰囲気を感じさせる飛鳥京の模型が

奈良文化財研究所飛鳥資料館と樫原市立藤原京資料館にある

下は奈良文化財研究所飛鳥資料館の模型

飛鳥浄御原宮を中心に飛鳥寺、川原寺、橘寺が見える

いずれも五重塔を金堂をもち周辺からはかなり目立ったであろう

 

 

下は樫原市立藤原京資料館の藤原京模型の南部

このうち大官大寺は藤原時代の寺