奈良日本建築アトリエひとりごと
法起寺三重塔と法隆寺五重塔の意匠を読む
以下法起寺の由緒による
岡本宮は聖徳太子が606(推古14)年に
法華経の講説した場所
622(推古30)年 太子は薨去に臨み
長子の山背大兄王に岡本宮を
寺に改めることを遺命する
そして638(舒明10)年 福亮僧正が
弥勒像一躯と金堂を造立した
(山背大兄王は643(皇極2)年蘇我入鹿に
滅ぼされたためその後の工事は遅れたか?)
その後685(天武14)年に恵施僧正が塔の建立の発願し
706(文武10)年三重塔の露盤をつくったといわれる

一方 法隆寺五重塔は奈良時代に入ったころの
711(和銅4)年に五重塔内の塑像を造立したことから
この頃に完成したと考えられている
両塔の完成時期はわずかの差ではあるが
法起寺三重塔建立の発願が天武時代と先んじる
そんなことを考えながら両塔を比較してみると
法起寺塔はアルカイック(古雅)な雰囲気をもつ
軒先のラインは
法起寺は硬直的で
法隆寺は柔らかい曲線を描いている
初重のプロポーションにも違いがある
法起寺は初重の立ちが高くツン立ちしているようにみえる
法隆寺は後世に付加されたという裳腰があるため
より時代が新しく感じられる
