昨年来た時には時間が遅く入山できず

今回初めて安土城址に入る

入山する手前にある「車止」標識

満開の桜と石塊の椅子が迎えてくれる

自然石を積んだ階段

蹴上が大きく大変きつい階段である

山登り気分になる

桜花がそのきつさを和らげてくれる

 

階段の左側が羽柴秀吉邸の石垣

大手道の側にはだれが何のためにつくったのかわらないが

石仏をレリーフ状に彫った石が置かれる

 

どういうわけか仏足石がある

室町中期のものらしい

築城当時に単なる石材として集められたものの一つ

と説明されている

 

山の最頂部の天主跡

信長は天守ではなく天主と漢字をあて

信長らしく自己中心的な表現である

 

天主跡から下界を見る

 

天主の足下には本丸御殿が建っていた

下は本丸御殿跡から天主のあった石垣を見る

 

天主下の本丸御殿跡

礎石配置から内裏清涼殿とよく似ているとのこと

信長は二度天皇行幸を企てたが実現しなかった

 

総見寺は信長公により安土城築城時にここに移築されたという

三重塔(重文)は棟柱銘により

1454年に湖南市長寿寺の塔として建立され

1555年(城跡発行のチラシによる)に

信長公がここに移築したとある

この年は信長21歳で岐阜で戦っている時代であり

もう少し後ではないでしょうか

湖南市の長寿寺といえば

建築史的に貴重な国宝の本堂がある寺である

長寿寺には確かに三重塔跡があったことを記憶している

総見寺から琵琶湖の内湖の西の湖を見下ろす

仁王門(重文)は

信長公が天正年間に甲賀から移したが

棟木銘によると1571年に甲賀で建立された

これも長寿寺から移築されたと考えられている

人が手を掛けなくなると

建物の傷みは早い

それでも長く風雪に耐えぬいていく姿をみて

いつまでも建っていてほしいと願うばかりである