中村昌生氏によると茶の湯の歴史には

茶室ができる前に

茶屋が流行したという歴史がある

茶屋が「山居の躰」「市中の隠」とよばれ

山里の庵居の境地を楽しんだ

下は二階建ての時雨亭

1階には天井高の低い竈付きの調理場となる

正面の階段から2階に上がる

この傘亭や時雨亭はその流れを汲むものであろうか

茶室での茶の湯が盛んになっても

「市中の隠」で茶を媒体として

遊興を楽しむことが続いても不思議ではない

そんな茶屋が秀吉も好きであったに違いない

その伝統は寛永時代の桂離宮にも及んでいる

傘亭も時雨亭も

また先回取り上げた桂離宮の月波楼も

炉や竈や水場流しなど調理設備のあるの重装備のあずまやだ

 

2階の空間は私は未体験だが

書物によると西以外の三方にある掛け戸を突上げると

開放的で大変気持ちよい空間とのこと

造りも大雑把で「山居の躰」の田舎家風の詫び住まいは

日本人の精神の深みにいまだにあるような気がする