虎丘庵は庭も国指定名勝である

東の築地塀にそって七五三風の石組である

現在は残念ながら植栽も多く

石組としての美しさが直截的に感じられない

わかりにくくなった理由は

一つは

この庭はもともと一休宗純が生前に、

虎丘庵の隣に建てた自分の廟の庭の一部であるとのこと

その区画は一休が皇室家のため今は厳格に分離された

そんな理由で廟の庭園の一部が中途半端に切り離された

もう一つは

一休歿後衰退したが その後復興される

その過程で不明瞭な庭となったのかもしれない

 

 

南の石組

 

虎丘庵チラシによると

「南方から四、一、三、二、一と配石され

四、一の五石組 

三、二、一の一はもと二石であったが、

今は一石とされたので、これが七石組、

最後が三石組となっている」

ということで七五三の庭という解説がある

 

北の石組