北畠氏館跡庭園

北畠氏は室町時代 伊勢の国司

その居館がこの地にあった

 

足利将軍14代義晴が

滋賀県朽木(琵琶湖西)に逃れているとき

将軍に同行した管領細川高国が援軍を乞うため

この地の北畠晴具(細川高国は岳父)を訪れた

1530年享禄3年のことである

高国はここにしばらく滞在しこの庭をつくったといわれる

将軍義晴の仮御所があった滋賀県朽木の

旧秀隣寺庭園も同じ作者と考えられている

 

正面入口から入ったところ(南を見る)

石橋の東西に池が広がる

ここでは一つ一つの石が個性的な形で大きく

力強い庭園である

 

向かって右(西側)は大きな池泉が中心の庭

主に護岸石組で力強く見せる

 

西側部分を西端の奥から見る

その先に先ほどの石橋を見る

 

石橋の向かって左(東側)は

池泉の先の地上に須弥山石組を組む

二次元の写真の世界では理解しにくいが

いくつもの軸線による配石でまとめらている

須弥山石組近景