下記の発掘当時の図面によると

復元建物と庭の間には

小規模なあずまやのような柱跡が2棟見られます

このあずまやも利用しながら

曲水の宴を行ったのでしょうか

曲水の宴は

「水上から流れてきた盃が自身の前を流れるまでに和歌を詠む」

というゲーム性が強い宴です

ますますイメージがわいてきますね

ちなみに池水は図面上(北)から下(南)に向かって流れます

 

 

下の写真の池の手前あたりにはあずまやがあったところです

 

池外側は玉砂利を敷き詰め州浜とし

そこここに人を配し盃を流したのであろう

州浜だけでなく

ポイントの各所には石を立て景色をつくっている

石を立てたり伏せたりして造形的に組み上げていく

後世の庭づくりの

先駆けでしょうか