今日は東福寺南庭の西方にある

京都五山の築山についてお話します

 

ここでは苔と白砂が直線的に仕切られていますが

寺内にあった縁石を見切り石として利用しています

45度傾けて土に埋め

縁石の角の部分を見せています

縁石の角が氷山の一角のように見えているわけで

土に埋まっている部分が多く

見切り石としては丈夫な構造となっているわけです

もう一つ 最大の築山は狭い場所で大きく見せるため

こちらから見えない山の背面には石で土留めをしているとのことです

このモダンな直線的な表現はどこに源流があるのか?

重森千青氏は作庭時の1939年という年が

日本庭園史図鑑26巻を完成させた年であることから

小堀遠州の表現方法からヒントを得とのでは と語っています

もう一つ1939年という年は

ブルーノ・タウトが「日本美の再発見」を発刊し桂離宮の美を再発見した年であり

また1927年には建築界ではインターナショナル建築会ができており

ヨーロッパからモダニズムが押し寄せている時代でもあります

 

日本ではすでに小堀遠州や桂離宮の時代から

モダニズム的な審美感があることは確かであります

それは日本の建築構造と関連があると 私は思っています

 

三玲氏が このような自分の時代を肌で感じながら

さらに三玲氏の鋭い感性と庭園調査の成果

それらを総和してできた賜物でしょう

 

下の写真のように見切り石を近くで見ると

継ぎ目が見え 

縁石が連続して埋めてあることがわかります 

 

見切り石は庭の隅にピッタリと到達しています

妥協を許さない態度がうかがえます

 

同じ縁石が西庭の井田(せいでん)にも

市松をつくる縁石として利用されている