愛知県日本建築ランドスケープ環境・景観アトリエひとりごと
その先の黒塀に出入り口あけられていた跡もある
座敷から縁側を経て中庭をみる
これも明治末期から大正初期だからこそできたことだあろう
そこには主の思いが込められていると考えられる
津島市 堀田廣之家住宅をみる
この家は堀田廣之氏が1913(大正2)年に完成させた家
この家の左手(西隣)には堀田家本家の
大きな家(重要文化財に指定)があったが
公道の拡幅工事の際に廣之家住宅の裏手に曳家、移転された
その結果、残念ながら両家が並ぶ姿は消え去った
堀田廣之氏は1887(明治20)年
本家の10代堀田善之の三男として生まれたが
本家から見込まれて本家が行っていた新田経営などを差配しており
その結果 隣地に住まいを建てることができたという
本家の堀田家住宅は棟札などにより
江戸期(正徳年間1711~16)の建築とすれば
廣之家は200年後に建てられたことになる
大きく異なるのは2階の階高の違いである
本家は江戸時代中期の建築ということで
2階は厨子(つし)二階に制限され
階高が低くその結果天井高も低い
当時2階は倉庫や使用人の生活の場とされていた
(下写真)しかし廣之家は2階の階高は高く
代の住宅と変わらないプロポ―ションである
2階には客を迎える立派な書院がつくられている

外観のもう一つの特徴は
前庭に植樹された松である
道路からみると「粋な黒塀 見越しの松」と
歌にも歌われているように
黒塀越しに松の緑がみえる
これは本家にも見られるが
今残る他の町家(津島の)にはなさそうである
豊かさの象徴ではなかろうか

見越しの松を座敷側からみる
この中庭には歩行用の飛び石があり
その先の黒塀に出入り口あけられていた跡もある 
座敷から縁側を経て中庭をみる 
蔵の入り口は付近は計画的に室内スぺースされた
そしてトップライトを設け明り取りとしている
これも明治末期から大正初期だからこそできたことだあろう 
