完成当時は尾西市と呼ばれた地域だが

現在は一宮市の一部となった

艶金興業はウール織物に活路を見出し

成功を収めた企業

当時丹下健三は東京都庁舎、香川県庁舎をはじめ

多くのビックプロジェックを抱え

艶金社長の依頼に難色をしたが

最後は社長の熱意に押されて

引き受けたとのこと

その結果、幸運にも愛知県に唯一の

丹下建築がここに残されることとなった

丹下としては小建築ではあるが

構造設計は坪井善勝

のちの代々木国立屋内競技場や

東京カテドラル(ともに1964年完成)などの

構造設計者が担当

空気調整は川合健二

のちに東三河地区でコルゲートパイプの家

をつくった人物が担当

1957年大林組の施工で完成された

 

2008年に登録有形文化財として登録され

2010年には一宮市が取得し

2014年には尾西生涯学習センター墨会館

及び小信中島公民館として第二の用途が始まった

 

下は玄関正面(2013年3月撮影)

広く深い屋根に覆われているが

適切なトップコートと正面の有孔ブロックで

正面の中庭からも光を取り入れるとともに閉鎖感をさけている

しかしながらプライバシー性を保持している

昭和32年の日本の経済が少しずつ上向いていく時代

そんな時代の一瞬の空気が漂う

ゆったりとしたおおらかな空間

 

現在の中庭の姿

ここでの意匠は構造体のコンクリートと

サッシにはまったガラスの対比で構成されている

横に続く連続窓として近代が意識されている

下は2013年3月撮影

新しい用途として開館する前の姿

2階建て部分の階段ホール

(2013年3月撮影)

たっぷりと感じられる空間

上から注ぐ大量の光

シンプルな素材の組み合わせでおおらかなデザイン

現代にはないクオリティをもっている

 

2階事務室の家具(下2枚は2025年9月撮影)

近代建築(デザイン)や桂離宮への思いが

込められていると感じる

 

講堂内部

外観と内部意匠には

近代的な構造合理性への意識が感じられる

 

外観

下写真2枚は2013年3月撮影

講堂の外部から右へ

正面玄関があり

その向こうに2階の軒が出ている部分が事務棟

構造部分(打ち放し仕上げ)と

他の帳壁部分の仕上げをを明快に区分して

それを意匠化している