小堀新介正次は1600年備中の国に一万石を領したが、1604年に逝去後その子の小堀遠州が遺領を継いだ。遠州はその後1619年までこの地で頼久寺を仮の館として備中松山城を整備などし、この頼久寺の庭園もこの間の作庭と考えられている。
愛宕山を借景とし、これを蓬莱山と見立て鶴亀石を配した。正面手前に大きく立つ石が鶴の羽石、その後方に亀石をおいている。
書院の前にある、軒先と平行に配置された直線的な敷石群は、全体で見れば直線的ではありますが、細部ではいろいろな変化があり大変面白い形となっています。延段の萌芽を見るようです。この敷石の配置や形をみて桂離宮の笑意軒前の敷石との共通性を感じています。(才本)

頼久寺外観 城郭建築のように白漆喰の塀の構成が美しい 「きれいさび」の美か

書院から庭を見る 愛宕山を借景に鶴亀石を配する

書院前の直線的な敷石

書院の壁にあけられた演出用の開口部

桂離宮の笑意軒前の敷石 頼久寺の敷石はこの敷石のさきがけのように思われる