もう一つ、この平面と断面を合わせ見るとこんな見方もできます。
もともと本殿の中央の5間×5間部分は内陣でまつられた神の空間があり、その前に5間×1間の外陣(図中の本殿と書かれた部分)つまり人が礼拝する空間を付加したとも考えることができます。この二つの空間が前後に並置され、それぞれが入母屋の屋根を持っていた。それがこの建物の起源であったかもしれない。そしてさらに全体の周りに下屋として庇が四周に取り巻いている。
このように考えて構造合理性から改めて外観と平面を見ると、内陣の中心位置つまり5間柱間の中心に外観左の入母屋破風の中心(棟)があるべきであろう。またもう一つの右の入母屋破風は外陣の中心に配置するのが本来の姿であろう。平面図と外観を見比べると、左右どちらの入母屋破風も室の中心からわずかにずれている。それは屋根は主体構造に関係なく見た目のバランスで一番美しい位置に入母屋破風をおいたと考えられます。1425年当時の室町時代には屋根の意匠は構造とは関連なくつくられる技術が進んでいたのであろう。その後の城郭建築で千鳥破風や唐破風が意匠的に自由に取りつけられる先駆けではないか。(才本)

平面図

断面図